全国学寮交流会誌「RYOUTONOMY」は、2022年に創刊された、全国の学生寮・学生自治空間をめぐる書物です。
富山県・高知県・京都府・宮城県をはじめとする各地の自治空間・実践事例・学生寮等が特集されています。
https://x.com/Gakuryou_Kouryu/status/1608823376281501698?s=20
おかげさまで各地での頒布物は完売に次ぐ完売となり、めでたく第二巻を出版する運びとなりました。
第二巻はコミックマーケット103(2023年冬)にて発売予定です。
本販促企画では、全国の学生寮・自治空間を取り上げた刊行物「RYOUTONOMY」の第二巻刊行記念企画として、昨年度配布した第一巻の記事の一部を加筆修正しつつ、順次公開していきます。
「早く全部読みたい!」と思ったそこのあなた!第一巻の紙媒体はメロンブックスで委託販売中です!是非ともご購入を検討ください。
今回は「今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論」から、「おわりに」をご提供されていただきます。
それでは本文をどうぞ!
[本文]
7. 終わりに:これはあなたの話なのです~大学を超えて~
これまでに学生自治による自治空間の例や、その利益について議論してきた。共通するのは学生が自ら空間を設計し運営する所である。自治空間性に濃淡はあれど、この一点のみは共通していると言っても過言ではないだろう。
やや戦後の学生運動に詳しい人にとっては、いわゆる「セクト」の話が全く出てこないことに違和感を持つ人もいらっしゃると思う。結論から言うと、現代的な学生自治において、セクトはあってもなくてもいい。当然自治空間において思想信条は自由であるし、それを理由に誰かを不法にパージすることはあってはならない。あってもなくてもいいのであって、必要不可欠ではなく、特定のセクトを代表するものでもない。自治空間のもつ包摂性や自律性を侵害する相手に対しては、もちろん実力行動をとることもあるだろう。生活を保障したり抗議運動を行ったり弁護士を雇うこともある。しかし、裏を返せばそれだけである。(あと実際問題、2022年現在古典的なセクトに所属する人間は極めて少ないので、セクトがどうの右翼団体がどうの70年代新左翼がどうのと言われてもいまいちピンとこない。)
読者の中には、大学は自分にとって縁がなかったり、入試に落とされたり、在学中に不快な経験をされた方もいらっしゃると思う。しかしながら現在の大学はともかく、自治空間はあなたやあなたの友人にとっても有益なのだ。
自治空間の単位として、なぜ大学が適切なのだろうか?
またなぜ大学がそのような責任を負わなければならないのだろうか??
第一の理由として、大学には現実に干渉し編集(Edit)する力が集約されているからである。高度知的社会が発展するに伴い、現実というものが一般市民にとってはどんどん関与不可能なものとなっている。現実と私たちの間の関係が、ソーシャルゲームの運営とユーザーの関係のようなものになりつつあるのだ。利用規約の中で自由にできるかもしれないが、実装されていない機能は何もできない。そして目だった行動をすると社会から「垢バン」されてしまうのではないかとうっすら恐怖におびえている。こうした感覚が人を過度に保守的にさせ、社会に暗い影を落としていると考えている。
これを克服しなければならないのだが、実際問題として社会をEditするためには高度なスキル・投資が必要となる。非常に高いハードルである。しかしながら大学にはそのための知識・組織・人材が集約されている。自治寮や会議室をはじめとした議論の場も備わっている。ベンチャー企業のためのインキュベーション施設に近いかもしれない。たとえば富山県立大学での取り組みなどは非常に近いものがあるだろう(別記事のインタビュー参照)当然スキルのみならず、生活を支えあう仲間や組織も存在している。たとえ自らがスキルを持たなくとも、周りにいる人間と話し合ったり助けてもらったりすることも出来る。
大学を必要とする全ての人に利益を開放する手段として、自治が有効である。大学が決める所属者の特権とするのではなく、大学を利用したいすべての人間に開放することで、必要な人に必要な手段を確保できるようにするのだ。家がない人に家を。装置がない人に装置を。人が欲しい人に仲間を。この空間を自治の精神で運用することにより、構成員の間の平等性を担保すると共に、利用への障壁を可能な限り減らすことが出来る。例えば「あなたは中卒だから」という理由で拒否されることはなくなる。
第二の理由として、自治空間という概念は大学組織を維持・発展させるからだ。すなわち、大学は自治空間から利益を得やすいからだ。
まず、大学が国民に支持されやすくなる。近年大学や大学院の教育に関わる基盤的予算(運営費交付金・私学助成金その他)は減額される一方である。これは大学自体が大学に籍を持たない人間には不要なものだと思われているからである。
しかし実際にはそうではない。大学は自治空間の結節点であり、普通の人々にとってこそ必要な空間である。その空間から恩恵を受けるのはまさに普通の人々。社会で生きているあなたなのだ。普通の人々がちゃんと社会に所属していると思えるための起点として大学が存在する。社会を安定させるための基盤となるのだ。社会を安定させる費用として、国や地方自治体に経費を堂々と請求すればよい。(もちろん自治空間の構成員が大きな利益を上げた場合には、自治空間を維持発展させるために応分の負担を求めることも出来るだろう)
加えて、構成員が単純に増えるため、組織が安定する。いわゆる定員やポストにとらわれることなく、事実上無限大に増やすことが可能である。リソースの大部分は構成員が持ってくる。自治の精神により効率化可能であるため負担の総量も減る。皆が好き勝手なことをやるので社会が変わっても誰かが成功する。「選択と集中」のない理想的な条件での大学運営が可能となる。そうした大学から利益を受けるのは普通の人々の生活である。
大学は若者や元気な住民をひきつけ、企業をひきつけ、行政や政治をひきつける場としてのポテンシャルを十分に持っている。多数の学生や研究員や教職員があつまり、地域の飲食店や企業が大学をたより、行政との対話の窓口も持っている。今後の日本再生のハブは実は大学という場なのだ。そのポテンシャルを発揮するためには、学生自治により大学を真の自治空間に戻すことが必要である。最大の構成員である現場の能力とモチベーションを存分に発揮できるからである。可能ならば雇用契約その他の身分契約による「籍」の理論から、大学を舞台に活動する全ての人たちへとリソースを解放する「場」の理論へと移行することが望ましいだろう。(1980年代ぐらいまでは当たり前だったと聞いている)。
そして大学関係者の方々、どうかどうか聞いてほしい。
今大学は頭脳と労力を集めれられる絶好の場所にある。大学を基盤に地域を再編する動きすらもあるだろう。もし自治空間の形成という責務から逃げるのであれば、その地位は容易に取って変わられる。若者からそうした場を奪えば、その活力の行きつく先はカルトか陰謀論者の集団である。頭脳には賛否両論あるかもしれないが、労力を集める能力はそうした集団にもあることは実証されている。それでいいのかということは問いたい。次世代をになう集団はー少なくとも科学技術立国を掲げ、それで産業を起こし飯を食おうとしている日本国ではー大学の中から生まれるべきではないだろうか。各大学で今起ころうとしている自治の芽を、どうかどうか詰まないでほしい。そして願わくば称揚してほしい。
地域の皆様も、どうか地元の大学に自治空間があるかどうかを調べてみてほしい。この冊子それ自体が非常にいいガイドになっているだろう。もし地元に自治空間があれば、こっそりとでもいいので応援してほしい、できれば堂々と応援してほしい。もし自治空間が空間を守るために何かと戦っているなら、どうかどうか自治空間の側についてほしい。
学生自治と自治空間の再興を基盤とする輝かしい未来へのエールを送り、ここで筆をおくことにする。
本記事の紹介はこれで終わりとなります。次週以降の販促企画については吉報をおまちください。それでは、第103回コミックマーケットでお会いしましょう!!!
第1回記事リンク
販促!RYOUTONOMY!! 第1回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (目次・第一章)~ | 千万遍石垣 (senmanben.com)
第2回記事リンク
販促!RYOUTONOMY!! 第2回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (第二章)~ | 千万遍石垣 (senmanben.com)
第3回記事リンク
販促!RYOUTONOMY!! 第3回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (第三章)~ | 千万遍石垣 (senmanben.com)
第4回記事リンク
販促!RYOUTONOMY!! 第4回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (第四章)~ | 千万遍石垣 (senmanben.com)
第5回記事リンク
販促!RYOUTONOMY!! 第5回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (第五章)~ | 千万遍石垣 (senmanben.com)
第6回記事リンク
販促!RYOUTONOMY!! 第6回! ~今、なぜ学生自治なのか 学生自治2.0を語る上での基礎理論 (第六章)~ | 千万遍石垣 (senmanben.com)