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「一歩を踏み出そうか、
 立ち止まり続けて」2

「一歩を踏み出そうか、<br> 立ち止まり続けて」2
書いたひと: COLOR pencils

だいぶ、わたしは、怒っていたわ。
誰かに表現されたものが、そうやって閉じられた世界で評価されて、それをさも、この世の中の普遍的な価値かのように見えるようにしてくる何か、誰かに対して。

でも、考えてみれば、それと同じことが、わたしがいた世界、そう、アカデミックの世界でも起こっているのよ。

大学。良い大学に行っている人はすごい。

そういうことじゃ、ないじゃない。
人は誰しもが、学びながら生きているじゃない。

なのに、良い大学にいっていたり、研究者だったり、そういう人達が何か特別なすごいことをしているかのように思えるのは、わたしが芸術の世界で感じていたことと、同じことだと思うの。

私は、すでにその世界に入っていたから、怒ることもなくその世界の中の評価をすごく気にしていたけれど、アカデミックの世界の外から、色んなことを学び考えてみると、芸術の世界に感じていた憤りと同じ怒りを感じることもあるかもしれない。

一人で自分や社会というものに向き合っている時、わたしは孤独を強く感じるの。
そして、そういう孤独の世界で作られたものは、とても力強くて、美しいわ。

それは、「いいもの」とよく、世間で評価されるものになると思う。なぜならそれは、孤独の世界で苦しむ人の魂を救う力になるから。

だからね、いい表現者になるために、あえて、一人になり続けて、一人で社会と闘い続けることも、考えることあるのよ。きっと、実際にそういう人もいるとも思うわ。

生み出すために、自らを苦しい世界に追い込む。

でも、いざ、そうなってみると、仲間がいる幸せや楽しさを改めてかみしめることになると思うの。

やっぱりまた、仲間の中に入って、何かを作りたいと思うようになると思うの。

だって、誰かに見てもらいたい、感動してもらいたい、その思いは、孤独の中であろうが、仲間の中にいようが、ずっと、心の中にあるものだから。

わたしね、幸せに、苦しみの少ない道に進む誰かに対して、怒っているところがあるの。

だから、自ら苦しい不幸な道を選ぼうとしているのかもしれないわ。

変わってしまうことにたいして、とても寂しくおもうことがあるの。

最初は苦しみから始まって、そこから作品が生まれて、作品によって誰かのためになれることを知って、与える側になって、そしたら、もう、変わってしまう。

同じようなものは作れなくなってしまう。

かけだしの、多分自分と同じように見える、まだ何も持たぬ人が、自覚をもって何かに進んでいく姿があった時、それに対して思うのは、頑張れという応援の気もちよりも、行かないでっていう寂しさなこと、あるから。

「あの人はすごい」とラインをひかれてしまうようになるのが、本当に、寂しいことだと思う。

与える側と与えられる側。

そんなことないと、心の底から思うのだけど。

心臓がなるように、呼吸をするように、わたしたちは、みなが表現をして、そして学んでいる。

それは、特別なことでもなんでもなくて、誰かが独り占めして、どこかの世界が独りよがりでやるものでもないでしょう?

言葉でいうのは、簡単だけれど、やっぱり、こうやって表現することを特別に思っているのも、これを語り掛けている相手も、実は、全部、自分自身なんだと思う。

であるならば、わたしは、わたしをこのまま何もできない自分として、とどめておかんとする自分に対して、いってあげなくちゃいけないわ。



まずは、自分で証明しなくちゃって。

  

人間すべてが、本当は、表現者で、研究者で、絵をかくことも、踊ることも、勉強することも、歌うことも、本来みんなのものなんだと思うのならば、

まずは、自分がそういう風に生きていかなくてはいけないんだって。

誰かを悲しませたくないからといって、その場で苦しみ続けていたら、そんな自分のことも知らず、前へ前へ進んでいく人達のこと、憎んでしまうようになるから。

どうして、そっち側にいってしまうんだって。

本当はその人たちのためになりたくて、苦しんでいたはずなのに。

    

きっと、色んな自分を、抱えながら、自らが思う方向へ、わたしは進んでいかなくてはならないの。

いくら矛盾するものだとしても、色んな自分の味方であり続けながら

それでも、一つの方向へ、自らが進みたいと思う方向へ、
わたしは進んでいかなくてはならないのよ。

    

1997年1月2日 井の頭公園にて  

   

    

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