去る2月25・26日(医学科は+27日)に二次試験が行われ、あとは明日の合格発表を待つのみ。京大を受験なさった方、および当日に向けて立て看板や像の制作等に奔走していた弊学生たち、ほんとうにお疲れ様でした。ひとまずご自愛ください。
さて、なんとも腹立たしいタイトルを失礼しました。筆者は、平成31年度(2年前)の特色入試合格を経て、現在文学部で哲学を学んでいる者です。本記事ではこの「特色入試」について、いち合格者の主観に基づき、その実態と功罪について述べます。みなさんが持つ特色入試の心象は、私の意見と比べていかがかしらん。(この記事は7分で読めます)
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特色入試ってどういうもの?
まず、概要をまとめておきましょう(既にご存知の読者は読み飛ばしてください)。京大HPを参考にしています。文学部に偏るけれどご容赦ください。
「京都大学特色入試」とはそもそも、高大接続(高校教育から大学教育への接続)を図り、「社会の各界で積極的に活動できる人材や世界を牽引するグローバルリーダーを育成するため」に導入されたものだそう。今年で6年目を迎えています。各学部でそれぞれ異なった形式の試験がなされますが、共通するのは以下の2点でしょう。
①高校までの学修成果を判定するため、「調査書」および「学業活動報告書」等、さらに大学入学後について志を述べる「学びの計画書」の提出が求められること
②受験者の基礎学力は、共通テスト(旧センター試験)と各学部が作成する論文試験や口頭試問などで測られること
文学部においては「哲学・歴史学・文学・行動科学に関わる諸問題を学び考え、自由の学風を重んじる本学の基本理念を踏まえながら、新たな知的価値を創出することをめざす学生」が求める人物像とされ、「基礎学力を十分に備え、これからの文学部での勉学についてプランと展望を持ち、意欲を持って広い意味での勉学に励む人」を選出するらしい。なんとも抽象的です。②については論述試験(90分)+論文試験(150分)がなされるそうで。とにかく読まされる、そして書かされます。過去の試験問題はここからダウンロードできるのでためしに一読いただきたい。何が正解かよくわからないものについて、自分なりに主張を組み立てる力が求められる問題ばかりです。
例えば令和2年度では、
「次の文章を読み、そこで述べられている人文学での理念についてどう考えるか、あなたが学びの設計書に書いたここと関連づけて述べなさい。」として野家啓一の文章が掲載されていたり、
「二つの文章をふまえて、現代社会における時間の使い方についてあなたの考えを述べなさい。」として近代社会における時間概念について書かされたり。
ここからは私の主観になりますが、文学部の特色入試は「どのように問いを立て、切り込み、答えていくか」の過程や個性が評価されているような気がします。そして、入学後の勉強に意欲的な目標を持っているかどうか。同期の特色勢と話す機会もありますが、高校時代に実績がありまくる人は案外少ないし、むしろ全然対策してなかったのに受かってしまったという人が多い。私もその一人で、「書いたらなぜか受かってしまった」と感じています。
体験記:書いたらなぜか受かってしまった
ここからはいわば、私の特色入試合格体験記です(興味なければ次の章へどうぞ)。とにかく書くことを求められる試験で、あんまり対策もせずに書き殴ったら受かっていた、そんな私の体験記。実のところ、私はずっと困惑しているのです。いったいどうして合格したんだろうか。
特色入試への対策、できることといえば以下のことくらいでしょうか。
・「学びの設計書」などの事前提出書類に手間をかけること
・論述試験への解答方法について一般的な勉強をすること
・数少ない過去問を解くこと
・↑この解いたものを添削してもらうこと
私の場合は、浪人して一般入試向けの勉強に追われていたこともあり、提出書類はかなり雑に制作しました(実際この段階で落とされる人は例年ほぼいないと知っていたこともその理由)。論述試験の対策も、3日前くらいから過去問を漁り、解答を完成させるには至らず「これが本番で出たらなんて書くやろか」と文章構成を練る程度で終わっていました。あと、論述試験って実は文学部後期入試(がまだあった頃)の問題形式と似てるんですよね。だから古い過去問の本文を高校の本棚から引っ張り出して読んだりしていました。
正直対策はほとんど出来ていなかったし、記念受験くらいの気持ちで京大に足を踏み入れたのを覚えています。そんな状態で、自分でもびっくりすることに、受かってしまった。でも、入学後に同期と話したりしてだんだん、もしかしたら既に自分はしっかり力をつけていたのかもしれない、と思い始めました。
先ほど「どのように問いを立て、切り込み、答えていくか」の過程や個性、そして、入学後の勉強に意欲的な目標を持っているかどうかが評価されているように思うと書きました。暗黙理に力をつけていたのかもしれないと後から思い立ったのが、この2つのことです。それまでに知りえた概念や読んだ本を錬成して、私には「どうしてもこれについて考えたい、学ばなくちゃいけない」と思える主題がありました。それが哲学という学問に当てはまっていると知り、いわゆる哲学書を、解説書片手に頑張って理解しようとしていました。京大現代文の勉強も謎に趣味でした。
きっと、入学後にやりたいことも明確であったし、問いを立てて答える方法論を知らぬ間に身につけていたということなんだろうと思います。少なくとも合格水準には。
これが「書いたらなぜか受かってしまった」体験への木兎なりの解釈です。具体的に対策をしたわけではないけれど、それまでの勉強や趣味を通して、特色入試に受かるような素養を得られていた。私の人生経験と文学部特色入試の相性が良かった。そういう解釈。
特色合格の功罪
では、そんな特色合格を経た私が考える、特色入試のいいところ・わるいところを挙げていきます。特色制度のいいところは沢山あるけれど、逃げられない特色の影が、私にはまだ纏わりついているような気がしています。
いいところ
・「学びの設計書」制作を通して、自分の勉強への意識を整理できる
・合格発表が早いので若干の気持ちの余裕が生まれる
・一目置かれる
・特色同期を発見した時、妙に仲良くなれる
「学びの設計書」を完成させる作業は、今まで興味を持っていたこととこれから学びたいこととを橋渡しする試みといえます。それまで断片的に「これの是非ってどうなんだろう」とか「ああいう論点が思いつく人に憧れるな」とか感じていたものが、学びの設計を通して一貫性を帯びていく。「学びの設計書」は入学後も指針となり、興味が迷走する中でも根源的な私の原動力として存在し続けているような気がします。
あと、入学してすぐは特に、一目置かれる。自意識過剰と思われるかもしれないけれど、口先だけかもしれないけど、「特色って凄い、倍率高いやろ」やら「どんな感じの問題なん、俺には無理だわ」やら言われる。あまたいる京大生の中でちょっとだけ自信が持てます。
わるいところ
・一般入試を受ける場合には、時間もお金も取られてしまう
・二次試験を知らないので新歓お決まりの会話ができない
・学費免除とか、実務で得することは皆無。転学部も厳しくなる
・実質凄くないのに変な自信がついちゃう
二次試験が行われる一週間前くらいに特色入試の合否が発表されます。なので私たちは二次試験の問題を知らないし、地方民は京大に行くこともせず当日の活気を楽しめない。これは痛手かもしれませんね。
そしてこれは大切なことですが、特色だからといって一般入試で合格した京大生より偉いなんてことは決してないんです。入ればただの学生。対して凄くもない(なんなら、一般入試だと落ちたやも知れぬ私のような場合もある)のに、特色ある学生だとお墨付きをもらって変に自信をもってしまう。これは特色入試の大きな罪です。これはまあ勝手に自信をつけてしまう合格者の問題ですが。
以上のように、特色入試とは何か・私の合格体験記・特色の功罪についてつらつら述べてきました。ここからは、この記事を筆者が書かざるを得なかった理由について告白します。私にとっては本編ですが、みなさんにとっては蛇足かもしれません。恥ずかしいのでむしろあまり読まれたい内容でもありません。興味ある方は進んでください。
【本編であり蛇足】この記事の本音
筆者・三好にとっては本編、読者にとっては蛇足な内容。それは、特色合格を経て変に自信をつけてしまったことについてです。特色入試の説明を装ったこの文章って実は全部自分のことなんですよね。特色入試の影を、私は纏い続けて手放せずにいる。
ひたすら書かされる試験で、京大という権威からお墨付きを得てしまった、入学後も妙に褒められてしまった、その結果、私は自分のことを、もしかして「書ける人」かもしれない…?と自信をつけてしまいました。
誰しも、何気ない言葉が胸に刺さって傷ついてしまったり、軽く褒められた言葉が仕事の支えになったりする経験があるはずです。私にとっては「対策もしなかったのに書いたら京大特色に受かってしまった」体験が、「書ける人」という、どうしても捨て去れない矜恃となってしまいました。恥ずかしいことに、自分は書ける人やもしれぬと入学以来思い込んだまま、この千万遍石垣をはじめ色々なところに文章を寄せています。大したことない成功体験を、引き摺っています。
この記事を書かざるを得なかった理由はここにあります。いいかげんこの自尊心を成仏させなければ、私は虎になってしまうだろう。そう思い解説記事の体をとって、惨めな自負心を供養しています。これをかじり読んでくれた人が「こいつ特色ってマウントとってんのダッサ」と見下してくれたらいい。私の自意識過剰さをやっつけてくれたらいい。「どうして受かったかわからないと言いながら、己のポテンシャルの高さを自慢してる嫌な奴」に、一度成り下がってやろう。そう鬱々と思いながら書きました。
この記事をもって、これからは決して「書ける人」だなんてダサい自信は抱かないぞ。実力以上に自分を評価せずに、地道にただ「書き続ける人」になるぞ。そういう決意を込めて。
最後まで読んでくれた物好きなあなたに、ほんとうに感謝します。
誰のためになるかわからないけれど参考URL
特色入試設置の理念について
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/admissions/tokusyoku
文学部の募集要項について
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/admissions/tokusyoku/student-recruitment
ちなみにここの製作者ヨシダガンジくんは、同じ年に文学部特色入試に受かった同期10人のうちの一人。とっても尊敬しています。