形式・文字数一切不問!文章のみで唸らせろ!第一回千万遍石垣かつおコンテスト開催中!!

共産趣味者ブヤコフ=マクシモヴィッチの機関紙 「クマウダ」第2号      ~東国編~ 1/4 

共産趣味者ブヤコフ=マクシモヴィッチの機関紙 「クマウダ」第2号      ~東国編~ 1/4 

この記事は、Kumano dorm. #2 Advent Calendar 2020の18日目の記事です。

2020年12月18日

あけましておめでとう!と言いたいところだが、共産的真実により今日は当初の予定寄稿日、2020年12月18日である。こいつは気が狂っているのではないか、と思った読者は昨年のアドベントカレンダーに私が寄稿した文章、クマウダ創始号を参照されたし↓。

きっと今日が12月18日であることを納得していただけるであろう。

さて、クマウダ第2号は4部構成で毎日1部ずつお届けしようと思う。

<プロローグ>

東。

この語は本来、単に方角を示す価値中立的な平凡な語に過ぎない。しかし、この一方角が他の方角と比べて不気味で不吉な響きを持っているように私に感じられるのはなぜだろうか。おそらく、それは歴史に原因がある。

―紀元前480年 ギリシア―

「スパルタ軍が全滅した!サラミスへ逃げろ!」

アテナイの住人たちは東の強大な陸軍国の侵攻を前に恐慌状態にあった。テルモピュライの防衛戦は抜かれ、アテナイまで阻むものはもう何もない。
アケメネス朝ペルシア。東はインダス、西は小アジアまでの広大な領土を抱え、肥沃な穀倉地帯を有する帝国。かの国は、陸よりもむしろ海を縄張りとし、海上交易を富の源泉とする民主政国家アテナイとは全てにおいて対照的な国だった。
ペルシアの強大な権力の膨張は留まることを知らず、遂にギリシア人の領域であるエーゲ海沿岸までをも蚕食した。アテナイの陥落も時間の問題だ。

サラミスへ避難するアテナイ人は「東」という語を聞いて何を感じただろうか。

―1241年 ヨーロッパ―

「ポーランドが陥ちた!バトゥが来るぞ!」

西ヨーロッパ人は恐怖の只中にあった。それまで、自らと関係のない存在のはずであった「東」の地から馬に乗った異民族が押し寄せていた。
モンゴル人。顔立ち、言語が完全に異なる騎馬民族が同胞たるキリスト教徒の街を破壊し、抵抗する民衆は漏れなく皆殺しに遭っているという。
モンゴル人襲来の情報に触れた者はこう思い、絶望したに違いない。

ヨーロッパ世界が「東」に飲み込まれる―

―1860年 シベリア―

「Владивосток!(ウラジヴォストーク)」

この年、ロシア極東の拠点として「東を征服する」という意味を持つ都市が建設された。シベリアは酷寒の地であるだけでなく、チュクチ人ら古の時より住み着いている先住民の一部は新参者であるロシア人には敵対的であった。余りに広大すぎる「東」の地はロシア人にとって未知であり、物好きな冒険家でもない限りそこは不気味であった。

「東を征服する」都市の建設は「東」への畏怖の裏返しそのものである。

―1944年後半 ドイツ―

「東へ!」

ドイツ兵にとってそれは死刑宣告に等しかった。
スターリングラードはとっくに赤軍に奪還され、クルスクでの反攻もソ連の人海戦術を前に虚しく潰えた。枢軸の盟友イタリアは既に降伏し、英米軍はフランスの平原を驀進している。ドイツの敗北は目に見えていた。
そんな状況での東部戦線行き。
英米軍相手ならば、降伏すれば命は助かる。しかし、ソ連の捕虜への仕打ちは残酷極まりなく、シベリアでの苛酷な労働を命じられた結果多くは衰弱死した。

東へ向かうドイツ兵には究極の選択肢が2つ残されるのみであった。
戦死するまで「東」と戦うか、捕虜としてさらに「東」へ送られるか―

―戦後 日本―

冷戦の時代である。
この時代、「東」は「西」と共に明確な政治的概念として日本に浸透した。
これまで、不吉な概念としての「東」とはヨーロッパから見て東側の領域を指していた。それはヨーロッパ人のオリエンタリズムやアジア人に対する差別とも密接に関係している。
しかし、冷戦時代は日本を含め、多くの国が「東」か「西」に分類された。
日本において、「東」は基本的に見えにくく、断片的にもたらされる情報はシベリアから帰還した抑留者の艱難辛苦、北方領土問題、強大な軍事力など不穏なものばかり。

かくして、日本人にも「東」への不気味さが共有され、ソ連無き現在に至るまでそれは続いている。

「東」への恐れは時代を超え、歴史の様々な場面で顕在化する。そして、現代を生きる私にこの方角の持つ不吉さの集合的経験が受け継がれているのである。

読者は思うだろう。ブヤコフは歴史が好きなのだな、と。得意分野である歴史の話をここに書いて、提出期限の遅れているアドベントカレンダーを乗り切ろうとしているのだな、と。

それは、半分正解であるが、半分間違っている。

私は確かに歴史が好きだが、今この場では自分語りをしたいのだ。そのために、上記の歴史の話が前置きとして必要だったに過ぎない。

2014年4月以来、6年の長きに渡る熊野寮生活=大学生活を終え、就職に伴い京都を去ることになった。私は神戸育ちであるため、大学時代も関西にいるという意味では同じだったが、就職では関西からも出ることになった。

察しの良い読者はもうお気づきだろう。

2020年3月末、私は不吉な予感を自覚しながら「東」の地、東京へと向かった。

to be continued…

続き→  「クマウダ」第2号 ~東国編~2/4
    「クマウダ」第2号 ~東国編~3/4
    「クマウダ」第2号 ~東国編~4/4

エッセイカテゴリの最新記事