ヨシダガンジ

見学記「分離派建築会100年 建築は芸術か?」

京都国立近代美術館で開催されている展覧会「分離派建築会100年 建築は芸術か?」を見学した。わたしは美術館にはそうそうゆくこともなく、芸術についてはなんらの知識ももたず、建築に関してもまったくの門外漢である。それではなぜこの展覧会をみたのか。わたしはなにもしらないのに建築をみることがすきだ。それはおおげさにいえば、建築というふくざつに構成された空間、巨大な物質文化にかぎりない興味をかきたてられるか […]

〈顔はみえないが名まえはわかる他者〉とのコミュニケーション 発見の手帳 (1)

教室での対面授業では、まわりの受講者はおおくの場合〈顔はみえるが名まえはしらない他者〉だった。けれどもZoom授業では、かれらは〈顔はみえないが名まえはわかる他者〉なのである。わたしはなんの疑問も違和感もなしにこのことをうけいれていた。対面からオンラインにかわったとき、重大な質的転換であったはずのこのことを、抵抗なしにうけいれたのだった。

「しらんけど」の哲学

上方のことばには、なかなか重宝するレトリックがある。「しらんけど」という。じぶんのいったことは、なにも根拠があるわけではないから、あんまり信用せんといてくださいよ、というほどの意味である。「しらんけど」ということばは、じつは哲学的な示唆をふくんでいるのではないか、とわたしはおもっている。

ブータン自動車横断旅行 (3) ヒンドゥーのまつり

とおりの反対側から、大音響のインド音楽がながれてくる。おまつりをやっている。ヒンドゥーのおまつりだという。おおきなテントのなかでやっている。わたしたちは、なかにいれてもらう。奥には祭壇があって、色とりどりの風船や菓子がそなえてある。きいたところでは、これは車のまつりだという。

ブータン自動車横断旅行 (2) ティンプーの日本人

わたしたちはかいものにでかける。まずは、ゴとキラをかいにゆく。ゴは男ものの、キラは女ものの衣装である。ホテルのちかくの呉服屋にゆく。赤、だいだい色、茶色、黄色、青、むらさきにそめられた糸の束が店だなの一角をうめる。できあいのゴとキラもたくさんある。わたしたちは、そのなかから気にいった柄のをえらぶ。

ブータン自動車横断旅行 (1) パロの谷

京大の学部生むけ少人数科目ILASセミナーには、海外で活動するものがいくつかあります。昨年(2019年)の夏、わたしはILASセミナー「ブータンの農村に学ぶ発展のあり方」に参加して、ヒマラヤの小国ブータンをおとずれました。これはその経験をしるした紀行文で、京大探検部の部誌『探検報2019』に掲載されたものです。