COLOR pencils

がけのさやこ音楽日記
「ついに、路上ライブ始める!」

2020.2.5 ♪カネコアヤノ 「爛漫」 ♪ 自暴自棄より早く走るしか   明るい部屋はないんだよ   あたし、ついに、路上ライブ始めました。 もう、ずっと一年くらい言い続けてたけど、やらないでいた路上ライブ。 正確には公園ライブだけれど、ちゃんと、お金いれてもらう箱と、自分の紹介スケッチブックを置いて、 通り過ぎてく人達を前に歌っている。   正直に言うとね、路上ライブの人 […]

  • 2021.02.09

「学問の自由と大学の自治について」によせて

「学問の自由と大学の自治について」によせて   はじめまして、こんにちは。 わたしくし、総合人間学部9回生、十戒真手子(じっかいまてこ)と申します。学部では、9回生の会代表をやらせていただいています。 どうぞ、よろしくお願いいたします。 今回は、千万遍石垣のウェブサイトに掲載されていた「学問の自由と大学の自治について」の記事によせて、いくつか、質問と、より深められる議論について、思ったこ […]

  • 2021.02.07

創作活動を楽しくするために
~卵は鶏を産まぬ、鶏は卵に育たぬ、卵はみな卵~

  はじめに この文章は、創作活動を志す私の仲間が、なかなか表現できずに苦しんでいる様子を見て、どうにか力になれないかと思い執筆したものです。 書くことが中心に書かれてはいますが、一般的に「やりたい!けどやれない」という状態に陥っている人にはあてはまめることができるかもしれません。 きっと、やりたい!と思う気持ちには意味があると思います。どうか、それが現実に実りになることを祈って。 20 […]

「卑屈のお家はここちがいい、
目の輝きのまま生き抜いて」

  ねぇ、ヨシダ君 卑屈。 これは、簡単におちいってしまう、ここちのいいお家だわ。 とくに、自分に、自信がない時なんて、特にそうね。 言われてしまったことが、図星すぎて、もう、それを認めざる得ないもの。 そういう意味でいえば、卑屈になるということは、言われたら痛い言葉を、受け入れるということなかもしれないわね。 そうであるなら、それは、とてもいいことだと思うの。 卑屈になると、案外、ここ […]

がけのさやこ音楽日記1
「どうして音楽やるなんて言い始めたの?」

  今日から更新する「がけのさやこ音楽日記」 がけのさやこという名で活動し始めたあたしの音楽に関する思いや活動をつづったエッセイシリーズである。 音楽をなぜやろうと思ったのか、何を伝えたいのか、そういうことはやはり文字にしないと伝わらないし、自分自身も忘れてしまう。 読者の方がこれを読んでわたしの曲に興味をもってくれたらなおさら嬉しいし、何よりも自分の救いにもなるだろう。 どうか、皆さま […]

「独りよがりのままでいよう、
みんなに好かれるようにしよう」

  ねぇ、ヨシダ君。 きれいにみせるのには、コツがいるのね。 わたしね、かいたものは、ぜんぶ、だれかのこころにかならず、ひびくものがあるから、そのまま、その生み出された姿そのままで、いいと思っているの。   いくら、下手くそでも、いくら、独りよがりでも。   でもね、きれにみせるのも、とても大切なことなのね。 そういうことも、気が付いたわ。   漫画の編集者 […]

「一歩を踏み出そうか、
 立ち止まり続けて」2

だいぶ、わたしは、怒っていたわ。誰かに表現されたものが、そうやって閉じられた世界で評価されて、それをさも、この世の中の普遍的な価値かのように見えるようにしてくる何か、誰かに対して。 でも、考えてみれば、それと同じことが、わたしがいた世界、そう、アカデミックの世界でも起こっているのよ。 大学。良い大学に行っている人はすごい。 そういうことじゃ、ないじゃない。人は誰しもが、学びながら生きているじゃない […]

「一歩を踏み出そうか、
立ち止まり続けて」1

ねぇ、ヨシダ君。 表現するって生きてること、そのものだと思うの。 わたしは今、自分の生き方について、すごくかんがえているのだけれど、やるべきことを完全にゼロに近くした時にわかったのは、 やるべきことは、やりたいことから生まれているということだったわ。 だって、やらなければならないことって、そもそも、まずは、心臓をならすところからはじめないといけないじゃない。 でも、わたしたちは、心臓をならしたいと思ってうまれてきたのではなく、もうすでになり始めていて、そして生きていることに気が付くのね。 そう思ったら、わたしの今やりたいと思っていることなんて、きっとすぐ、やらなければならないことに変わっていやになってしまうけれど、 わたし、心臓をならさなければならないなんて、思ったこと、ないわ。

「音姫」

Sound Princess その名も音姫。トイレを使うすべての女性を音の恥ずかしさから救ってくれるお姫様である。 今回のエッセイは、そんな音姫について日ごろ思い溜めていたことを書きたいと思う。 1つ目 「おとひめ 変換」 このエッセイを書きながら気がついたのだが、パコンでは音姫の変換がでてこない。 乙姫/おとひめ/オトヒメ いやふざけんな。浦島太郎に玉手箱をあげる意地悪な姫よりも、音姫の方が10 […]

宝池教習所シリーズ3「卒業」

小学生の時、お姉ちゃんが読んでた名探偵夢水清志郎シリーズ。 図書館で借りたのか、姉の部屋にはこの本がよく置かれてあった。 娘と一緒の話題ができて嬉しいのか、お父さんまで姉の借りてきたそのシリーズをトイレに持ち込んで読んでいた。 そんな2人を見ていたわたし。 きっとわたしにはまだ早いんだろうなぁと無意識に思い込むようになっていた。 それに加えて、わたしはその表紙の絵が苦手だった。 そのため、お姉ちゃ […]

宝池教習所シリーズ2「みきわめ教習」

    私はみきわめ教習が苦手だ。 みきわめ教習とは、修了検定(1段階)と卒業検定(2段階)の前にそれぞれ1回ずつ行われるもので、検定を受けのるに十分な技術があるか教習官に前もってチェックしてもらう時間のことである。そこで教官のOKがでれば、検定を受ける資格をもらえるのだが、もしOKが出なければ、ありがたくも追加料金5400円を払って補習を受けることになる。 まぁ、ようするに一 […]

宝池教習所シリーズ1「教官のこと」

  「自動車教習所」 自動車教習所は、運転免許を取得しようとする者などに対して、自動車を運転するのに必要な知識と技能を教習する施設である。 (Wikipedia「自動車教習所」より)   宝池教習所シリーズは、教習所に通う3か月あまりを適当に気まぐれに記録しようとするものである。時として、教習所は自動車運転の知識と技能以上のことを教えてくれるのだ。 いったい、どのようなドラマが […]

  • 2020.10.11

「我ここに立つ、
まぁ何でもいいや。」

こうして文章が書けていること自体が本当に不思議なことである。そもそも、わたし、あたし、どうして文章を書けるんだろう?どうして、言葉を話せるんだろう。この文章を読む人は、頭の中でどんな声をこの文字から感じているんだろう? 今までの文章、だいたいの文は一体だれが書いたのかわからなくて、それはまるで、神様のような感じみたいに、それを読むと、まるでそれがこの世界の正解のように感じることがあったの。 例えば […]